日本のお米は輸入品?
■日本のお米のルーツは、中国にあるらしい。
アジアで栽培されるイネの原産地は、現在のインド北東部からラオス・中国南部に及ぶ広い範囲とされてきましたが遺伝子研究が進んだ結果、1990年代には中国の長江中・下流(※1)の野生種がルーツであるという学説が有力になりました。
この地域で古代文明発祥の地としても知られており、約7000年前の稲作遺跡も発見されています。
その後さらにゲノム解析が進められ、最近では長江よりも少し南を流れる珠江(※2)中流に生えていた野生種のうち「モミが落ちにくい」「倒れにくい」といった優れた特徴を持つ種が栽培されて、ジャポニカ種の先祖としてアジア各地に広まったのではないかという学説も唱えられています。

稲作の起源とされている地域
イネの世界ではジャポニカ種よりもメジャーな「インディカ種」という品種のご先祖も、この珠江流域まで遡ることができるそうです。(インディカ種というお米はチャーハンなどに合う「パラパラごはん」になる長粒種として知られていますね。)まだ学説は定まっていませんが、日本人が食べているお米のルーツが中国大陸からやってきたということは間違いなさそうです。
- ※1:日本では下流域を指す揚子江の名でよく知られています。
- ※2:沿岸に広州や香港のある中国南部の大河で、中国語ではチュー・チアンと読みます。
お米が海を越えるには、数千年もかかった。
では大陸で生まれた日本のお米のご先祖様は、いつごろ、どうやって日本列島まで渡ってきたのでしょうか?
日本で初めて水田跡の残る遺跡として発掘されたのは、静岡県にある有名な登呂遺跡です。弥生時代後期、今から約2000年前の遺跡とされています。その後も各地で水田跡の遺跡発見が続き、現在では遅くとも2400年ぐらい前には日本でも稲作が行われていたと言われています。つまり大陸でジャポニカ種の栽培が始まってから4000~5000年という気が遠くなるほどの時間をかけて、稲作という技術が日本にやって来たのです。
■お米が日本にやってきた3つのルート
海を隔てて数千キロの彼方から、イネはどうやって日本列島に上陸したのでしょうか?
記録があるわけではないのでいろいろな推測が成り立ちますが、有力なのは3つのルートです。

3つの有力な説
- 大陸から朝鮮半島経由
中国南部で生まれたジャポニカ種が大陸沿岸を徐々に北上、朝鮮半島から対馬海峡を渡って九州に伝わったという説です。 - 長江河口から東シナ海経由
ジャポニカ種発祥の地とされる長江河口から黒潮に乗って東シナ海を渡り、九州に伝わったという説です。 - 「海の道」経由
中国南部~台湾~沖縄と島伝いに北上して九州に入るルート。民俗学者の柳田国男が提唱した説です。
いずれのルートで来たにせよ、大きな船や馬車もない時代に数千キロの距離にわたって山を越え海を渡ってモミが運ばれ、そのモミから米が収穫できるようになったのは奇跡に近いことだったでしょう。いくつもの奇跡が積み重ねられ、更に先人たちの工夫や苦労が加えられた末に、私たち日本人は今、世界に誇ることのできるおいしい「ごはん」を食べられる幸せに恵まれているのです。
